東京高等裁判所 昭和56年(行コ)10号 判決 1983年12月22日
控訴人 横浜西労働基準監督署長
代理人 西山敦雄 河野功夫 ほか五名
被控訴人 今泉哲夫
主文
一 原判決中、控訴人敗訴部分を取消す。
二 被控訴人の請求を棄却する。
三 訴訟費用は、第一、二審とも被控訴人の負担とする。
事 実<省略>
理由
一 請求原因1の事実(本件(一)の処分及び(二)の処分の存在)は、当事者間に争いがない。
二 被控訴人は、本件(一)の処分及び(二)の処分には、被控訴人の疾病が鉛中毒症であつて、被控訴人が従事してきた鉛蓄電池製造過程における作業によつて発症したものであるにもかかわらず、右疾病が業務に起因しないとした違法があると主張するので、以下この点を判断する。
1 被控訴人の職歴
請求原因2(二)(1)ないし(7)のうち、被控訴人が主張の時期、期間に、主張の作業に従事していた事実は、当事者間に争いがない。したがつて、被控訴人は、昭和二四年一一月一日古河電池に入社して以来、昭和三五年二月から昭和三七年二月までの古河電池労働組合の組合専従であつた期間を除き、昭和四五年六月一四日までの間、鉛蓄電池製造工程における充填作業、組立作業等の諸作業に従事していたものと認められる。
2 作業現場の状況
(一) 原審における被控訴人本人尋問の結果(第一回)によれば、被控訴人が稼働していた充填職場等の作業現場では、鉛のペーストが酸化して作業台や作業衣に付着し、ほうきで掃いたり作業衣をはたいたりすると鉛粉が舞い上つて空気中に飛散する状況にあつたことが認められる。
(二) <証拠略>によれば、鉛作業が行われる作業現場の空気中に飛散する鉛の許容量は、一立方メートルあたり〇・一五ミリグラムであり(鉛中毒予防規則(昭和四七年労働省令第三七号)第二七条第二項、第三〇条参照。)、右を越える濃度の下で一日八時間以上筋肉労働を続けると、健康障害を起こす虞れがあるとされているところ、昭和三九年以降の古河電池の各職場における気中鉛濃度を測定した結果(<証拠略>)のうち、昭和三九年一一月より昭和四五年一一月までの産業組立現場における約半年毎の一三回の測定の結果によれば、同現場の気中鉛濃度は、一立方メートルあたり〇・〇三九ないし〇・三八ミリグラムで、〇・一五ミリグラムを越える数値が八回測定され、また、産業充填作業現場においては、昭和三九年一一月より同四〇年一一月までの半年毎の三回の測定及び昭和四五年五月の測定の結果によれば、〇・一五ミリグラムを超える数値が二回測定されていることが認められる。
(三) 請求原因2(二)(8)の事実(昭和四三年九月二五日以降、控訴人監督署長が古河電池に対し、職場環境の改善指導をしていたこと)は当事者間に争いがなく、また、<証拠略>によれば、横浜市公害センターが古河電池の工場周辺を調査したところ、古河電池からの排気等によつて大気中の鉛の濃度が横浜市内の他地域に比べてかなり高く、昭和四七年三月八日、横浜市が古河電池に対して、「大気中鉛等の排出量の減少について申し入れ」(<証拠略>)と題する改善勧告の申し入れをした事実が認められる。
(四) 以上によれば、被控訴人が従事していた作業現場では、鉛の気中濃度が高かつたものと推認され、作業員が鉛を体内に吸収することの多い作業環境であつたものと考えられる。
3 被控訴人の症状
<証拠略>によれば、次の事実が認められ、右認定に反する<証拠略>はたやすく措信しがたい。
(一) 昭和三二年七月三一日から昭和四四年二月までの古河電池での特殊健康診断による被控訴人の症状及び検査結果は、原判決添付別表(以下「別表」という。)三記載のとおりである(ただし、同表中、昭和四二年二月は汐田病院で、昭和四三年二月二日は神奈川県成人病センターで受診した時のものである。)。
(二) 昭和四四年二月一五日以降同四七年一一月までの被控訴人の症状は、別表四(同表欄外の「(一)、(二)、(三)」との表示を削る。)記載のとおり(なお、同四四年二月一五日以降の各医療機関における診療録に記載された被控訴人の自覚症状及び他覚症状が別表一(一)ないし(三)記載のとおりであることは、当事者間に争いがない。)であり、鉛中毒に関する諸検査の結果は別表五記載のとおり(ただし、同表欄外の「(一)、(二)、(三)、(四)、(五)」との表示を削り、同表中、四四年四月五日の欄中「尿中コプロポルフイリン」欄に「(一)」を、「その他」欄に「血色素一五・二g/dl」をそれぞれ加え、四四年一一月の欄中「医療機関」欄の「古河電池診療所」を「古河電池特殊健診」に改め、同月の欄中「尿中コプロポルフイリン」欄に「(一)」を加え、四五年五月の欄中「尿中コプロポルフイリン」欄に「(一)」を加え、四五年六月九日の欄の次に「四五年六月一二日」の欄を設け、その「医療機関」欄に「東京大学医学部所属病院」を、「赤血球」欄に「四三九」を、「その他」欄に「血色素一四・一g/dl」をそれぞれ加え、四五年七月七日の欄の「全血比重」欄に「一・〇五七」を加え、「その他」欄の「2.6mg/day」を「2.6mg/l」に改め、四五年七月二三日の欄の「医療機関」欄に「神奈川県衛生研究所」を加える。)である。
(三) 被控訴人の右各症状についての各医療機関の診断結果及び治療の概要は、原判決理由二6(一)ないし(一四)(原判決七七枚目裏一一行目から八三枚目表九行目まで)記載のとおりであるから、これを引用する。
4 <証拠略>によれば、鉛中毒症とりわけ呼吸器及び消化器を通じて長時間にわたり鉛が体内に吸収蓄積されて徐々に発病する慢性鉛中毒症は、次のとおり、多彩な症状を呈するのを常とし、その症状の多くが鉛中毒症のみに特有なものではなく、他の疾病によつても起こりうるものであることが認められる。
(慢性鉛中毒性にみられる症状)
(一) 消化器系の症状
食欲不振、嘔吐、鉛縁(歯と歯肉との間の着色線)、口腔炎、金属味、鉛疝痛、便秘、潰瘍、腸閉塞等
(二) 中枢神経系の症状
頭痛、不眠、倦怠感、鉛脳症(中毒性精神障害、昏曚、昏睡、けいれん、失語症、脳神経麻痺)、脳膜炎、譫妄、視野狭窄、視神経炎等
(三) 末梢神経系の症状
筋痛、関節痛、異常知覚、一過性不全麻痺(リストドロツプ)、筋脱力、筋萎縮、知覚麻痺、握力の減退、振顫等
(四) 貧血
(五) 顔面蒼白(鉛顔貌)、皮ふの蒼白等
このようなことから、労働省は鉛中毒症の具体的な判断基準として、昭和三九年九月八日基発第一〇四九号「鉛中毒の業務上外認定について」と題する通達(以下「旧認定基準」という。)を、その後これを改正して、昭和四六年七月二八日基発第五五〇号「労働基準法施行規則第三五条第一四号に掲げる「鉛、その合金または化合物(四アルキル鉛を除く)による中毒」の認定基準」と題する通達(以下「新認定基準」という。)をそれぞれ発したが、新認定基準及び旧認定基準の内容は、原判決理由3(原判決六三枚目裏九行目から六七枚目裏八行目まで)記載のとおりであるから、これを引用する。
右新旧の認定基準は、鉛中毒の業務上外の認定につき迅速、適正な判断を行い、認定の統一性を確保するため、労働基準監督署長の諮問機関として設置された「鉛中毒の認定基準に関する専門家会議」による医学的、専門的意見に基づき鉛中毒の業務上外を判定するための具体的基準として作成されたもので、鉛中毒症の早期発見、早期治療に役立てる見地から定められたものと認められ、また、<証拠略>によれば、右新旧の認定基準で定められた血中鉛量等の基準値は、国際的にも妥当な数値とされていることが認められるので、したがつて、業務上外の認定にあたつては、右新旧の認定基準の定める要件を満たす場合には、特段の他の要因の存するときは格別、鉛中毒と判断するのが相当であると共に、右認定基準の定める要件を満たさない場合には、原則として、換言すれば、検査結果の数値が比較的基準値に近く、かつ、他の要因の存することが認めがたい等の特段の事情のあるときを除き、鉛中毒ではないと判断しても誤りはないという合理性をもつ基準であると考えられる。
5 そこで、右新旧の認定基準に照らして、被控訴人の前記検査結果(被控訴人は、昭和四四年二月ころ災害補償給付の対象となる鉛中毒症が発症したと主張しているので、別表五記載の検査結果をも対比することとする。)が右認定基準の定める基準値を満たしているかどうかについて検討する。なお、尿中鉛、血中鉛、赤血球数、全血比重、血色素量の各教値は、新旧両認定基準とも同一である(旧認定基準には、尿中鉛についての誘発の基準及び尿中コプロポルフイリンについての数値の定めはなく、好塩基班点赤血球についての定めがあつた。)から、新認定基準の定める基準値によつて検討する。
(一) 尿中鉛について
新認定基準によれば、尿中鉛量は誘発前一リツトルあたり一五〇マイクログラム(以下この項の尿中鉛量の単位は同じ)以上とされているところ、右基準値を越えるものは、昭和四五年七月二三日の一七一、同年一〇月二三日の二〇〇があり、右基準値に近いものとして、同年七月七日の一一八、同月一七日の一四六がある。しかし、<証拠略>によれば、当時、氷川下セツルメント病院(以下「氷川下病院」という。)において、被控訴人に対し除鉛剤が投与されていたことが認められる(当然に鉛の尿中への排出量が増える)ので、右数値をもつて基準値を越え或いはこれに近いものと認めることはできない。また、同年九月九日には誘発後の尿中鉛量として一〇七五の数値を示しているが、いわゆる誘発法(新認定基準別紙四参照。<証拠略>)による場合は、カルシユームEDTAを点滴静脈注射して注射開始から二四時間の全尿について五〇〇マイクログラム以上の鉛が検出されることを必要としているところ、<証拠略>によれば、右九月九日の氷川下病院での検査においては注射二時間後の尿中の鉛量を測定しただけで尿量の測定がされていないことが認められるので、右一〇七五の数値は基準値を満すものと認めることはできない。また、昭和四六年六月八日には誘発二時間後の尿中鉛量として六六五の数値を示しており、その際の尿量は〇・三四リツトルであるから、同尿量中の鉛の絶対量は二二六・一と計算されるところ、<証拠略>によると、氷川下病院の山田信夫医師は二四時間の尿中鉛量は誘発の注射二時間後の鉛量の二倍ないし五倍になるとしているというのであるから、これによつて右誘発の注射二時間後の尿中鉛量を二四時間値に換算すると四五二ないし一一三〇・五となり基準値に達することになるが、<証拠略>によると二四時間値が二時間値の二倍ないし五倍であるとする根拠は薄弱であると認められるばかりでなく、<証拠略>によれば、血中鉛と尿中鉛との間には相互に強い順関係すなわち血中鉛の増加が認められる時には尿中鉛の増加も認められ、尿中鉛の増加が認められる時には血中鉛の増加も認められるという有意な相関関係があるものと認められるにもかかわらず、右尿中鉛量と同日の血中鉛量(誘発の前後を通じて二七)との間には相関関係が認められないので、右昭和四六年六月八日の尿中鉛量の数値の正確性には疑問があり、これも採用することはできない。
(二) 血中鉛について
新認定基準によれば、血中鉛量は一デシリツトルあたり六〇マイクログラム(以下この項の血中鉛量の単位は同じ)以上とされているところ、右基準値を越えるものとして昭和四五年七月二四日の六四がある。しかし、<証拠略>によれば、被控訴人は前日の同月二三日の夕方まで除鉛剤(サンクレブトンE)を服用していたこと、除鉛剤により血中の鉛量に影響を及ぼすことが否定できないことが認められるので、右同日の六四の数値を直ちに基準値を上回つている正確性のあるものと認めるには疑問がある。なお、同年六月一九日の五〇、同年七月一〇日の四七、同月二七日の五〇、同年九月一八日の四六の各数値があるが、これも前記除鉛剤の影響が無視できないので、直ちに正確性のある基準値に近いものということはできない。
(三) 尿中コプロポルフイリンについて
新認定基準によれば、一週間の前と後の二回にわたり尿中コプロポルフイリンが一リツトルあたり一五〇マイクログラム(以下この項の単位は同じ)以上が検出されること及びその測定方法が定量検査によることとされているところ、氷川下病院での検査結果中には、(+)×2、(+)×4、(+)×8、(+)×16などがあり、<証拠略>によれば、(+)×2は六〇ないし一二〇、(+)×4は一二〇ないし二四〇、(+)×8は二四〇ないし四八〇、(+)×16は四八〇以上の数値を表わすとのことであるが、右が定量検査による測定方法によつたものと認めるに足りる証拠がないから、右の数値をもつて基準値を上回る正確性のあるものということはできない。
(四) 尿中デルタアミノレブリン酸について
新認定基準によれば、尿一リツトル中にデルタアミノレブリン酸が六ミリグラム(以下この項の単位は同じ)以上検出されることを要するとされているところ、被控訴人について、同年七月七日に一回検査されたのみであるが、その数値は、二・六であつて基準値を下回つている。
(五) 赤血球数、全血比重、血色素量については、いずれも新認定基準による基準値を満たすものはない(いずれも常時基準値未満であるとはいえない。)。
以上のとおり、被控訴人に関する検査結果については、前記同年七月二四日の血中鉛量につき除鉛剤の影響がなかつたとすれば、基準値を上回る数値を示していることになるが、右以外に基準値を満たす検査結果は存在しないし、右血中鉛量については、除鉛剤の影響が否定できないことは前記のとおりであるうえ、同日の尿中鉛量(誘発前で一リツトルあたり六七マイクログラム)との間に相関関係が認められず、同日の血中鉛量の数値の正確性については疑問があるので、したがつて、上記の検査結果はいずれも新旧認定基準の定める基準値を満たしていないことになる。
6 ところで、前記1、2認定のとおり、被控訴人が従事してきた作業内容、期間、作業現場の状況からすれば鉛中毒症に罹患する可能性のあることは明らかであり、前記3認定のとおり、被控訴人は、昭和三七年ころから膝関節痛を訴えはじめ(別表三)、昭和四四年二月以降は筋肉痛、関節痛、四肢のしびれ、知覚鈍麻など(別表一及び別表四)慢性鉛中毒症にもみられる末梢神経系の諸症状を呈し、一進一退しながら長期にわたつてその症状が続いていることから、被控訴人の同月ころ以降の症状は鉛中毒によるものとの疑いがないではないが、前記4のとおり慢性鉛中毒症の症状の多くが鉛中毒症のみに特有のものでなく、他の疾病にもみられるものであること、被控訴人には、前記5のとおり医学的、科学的検査結果が未だ鉛中毒症と認めるに足りる基準値を満たしていないこと、伸筋麻痺の存在を認めるに足りる資料がないこと、後記のとおりいわゆるスモンの疑いがあることからすれば、鉛中毒症であると認めることは困難である。
なお、<証拠略>によれば、東京労働省災害補償保険審査官又は労働保険審査会が、いずれも前記認定基準に定める基準値に達していないかあるいは検査数値に若干疑問があるにもかかわらず、個別的に事案を検討して鉛中毒と認定した事例のあることが認められるが、検査数値も異なり、後記のようにスモンの疑が極めて強い本件とは事案を異にするものと認められるし、また、<証拠略>によれば、被控訴人と同様に古河電池で稼働していた者のなかから三名の者が鉛中毒症であるとの認定を受け、労災補償の支給を受けていることが認められるが、同一の職場でも個々の労働者の鉛の吸収の程度には当然差異があるものと考えられるから、これらのことが前記の認定を妨げることにならないことは多言を要しない。
7 いわゆるスモンの疑いについて
(一) <証拠略>によれば、次の事実が認められる。
(1) 被控訴人は、昭和四二年二月二〇日から胃腸症状を主訴として汐田病院で治療を受け、同年四月一七日から同年七月三日まで胃・十二指腸潰瘍等の診断名で入院した。退院後同月六日ころから腹部痛、下痢、全身倦怠感等を訴えたため、内服薬の投薬を受けたが、その中にエンテロビオフオルムが含まれており、同月一八日から同年八月二四日まで数日の休薬期間をはさんでその一日量二グラムの三二日分合計六四グラムが処方されてこれを服用した。
(2) 同月一八日から両側下肢の足底部にしびれ感を訴えはじめ、同月二五日には腰部から下肢にかけて両側対称性にしびれ感が拡大し、同日よりエンテロビオフオルムの投与が中止された。その後同年九月に入り下肢のしびれ感は、改善されて、両膝以下に、更に足底部に限局された。なお、上記期間以外にも、同年二月二〇日に一日量二グラム三日分、同年一〇月一六日に一日量三グラム七日分、同月二三日に一日量三グラム七日分それぞれエンテロビオフオルムが処方されて服用している。
(3) 以上のとおりエンテロビオフオルムは合計一一二グラムが処方されて服用したことになるが、エンテロビオフオルムの一グラム中にはキノホルム〇・六二五グラムが含有されているので、被控訴人はキノホルム七〇グラムを服用したことになる。
(4) 被控訴人には、しびれ感等の神経症状に先立ち、腹痛下痢などの腹部症状が起つていること、症状が悪急性に発症していること、運動神経系ないし筋力はほぼ正常で膝蓋腱反射が一時期減弱し、アキレス腱反射が消失した時期があつたが、その後正常に戻つたこと、神経症状も知覚障害が先に強くあらわれ、両側性で下半身ことに下肢末端に強くあらわれていることなどの特徴がみられる。
(二) いわゆるスモンについては、スモン調査研究協議会においてスモンの臨床診断指針が設定されているところ、その必発症状及び参考条項は、原判決理由二12(原判決九七枚目裏九行目から九九枚目表一行目まで)記載のとおり(<証拠略>)であるからこれを引用するが、前記被控訴人の諸症状は右スモン臨床診断指針必発症状のほとんどすべてを充足していることになる。
(三) <証拠略>中、井形昭弘作成の御返事と題する書面では、東京大学医学部附属病院神経内科井形昭弘医師は被控訴人の症状についてスモンではないとの診断をした事実が認められるが、<証拠略>によれば、同医師は、被控訴人がキノホルム剤を服用したことはない旨伝えられ、また、病歴及び症状が正確に伝えられていなかつたため誤つた判断をしたとして、従前の診断結果を訂正している事実が認められ、その他、前記(一)、(二)認定に反する<証拠略>はたやすく措信できない。
(四) 以上のとおり、被控訴人はスモンの疑いが極めて強く、別表一及び四記載の各症状のほとんどがスモンに基因する可能性が大きいものと考えられる。
三 被控訴人が、昭和四五年三月一〇日、控訴人に対し、「顕腕症候群、腹痛症」の傷病名で昭和四四年一二月二五日から昭和四五年二月二三日までの六〇日間について休業補償給付を請求したところ、本件(一)の処分がなされたことは当事者間に争いがない。被控訴人は、本訴において、右の期間中も業務に起因した鉛中毒症であつたと主張しているものと解され、右主張については前記二で判断したとおりであるが、本件(一)の処分の適否に関連して、頸腕症候群、腰痛症について検討する。
1 <証拠略>によれば、被控訴人は、頸部重圧感、前腕の痛み等で済生会神奈川県病院で治療を受け、その際頸腕症候群・多発性関節炎との診断を受け、その後汐田病院、大師病院で治療を受けたが、昭和四四年一二月中旬ころには症状も軽くなり、大師病院での治療を一旦中止したこと、その後間もなく前同様の症状を訴えて汐田病院、大師病院で受診し、昭和四五年三月には厚生年金湯河原整形外科病院、東大附属病院分院で受診したが、頸腕症候群につき自覚症状のみでさしたる他覚的所見はないと診断されていることが認められるので、被控訴人が前記古河電池の蓄電池製造工程における手充填作業によつて頸腕症候群に罹患したとしても、昭和四四年一二月中旬ころにはその症状は固定したものと認めるのが相当である。なお、<証拠略>には、昭和四五年五月八日当時の診断として、頸肩、上肢に筋硬結、圧痛等の他覚的所見がある旨の記載があるが、右は前掲各証拠と対比してにわかに措信しがたい。
2 <証拠略>によれば、被控訴人は、かなり以前から腰痛を訴えていたが、(別表三のとおり昭和四二年当時にも腰痛を訴えていた。)、前記頸腕症候群の治療を受けた当時においても、汐田病院、大師病院等で腰部の痛みを訴え、その後別表四のとおり長期間にわたり症状が消えず一進一退をくり返していたものであるところ、本件全証拠によるも被控訴人の業務と右腰痛との間に因果関係があると認めるに足りないので、右腰痛が業務に起因したものと認めることは困難である(被控訴人の腰部、下腿の知覚異常の症状は、別表四のとおり長期にわたり持続又は出没しているが、右は前記スモンによる影響の可能性が否定できない。)。
四 以上によれば、本件(一)及び(二)の各処分に違法があるとは認めがたく、被控訴人の疾病が業務上の事由によるものとして右各処分の取消を求める本訴請求は理由がなく、棄却を免れない。したがつて、右各処分を取消した原判決は失当であり、本件控訴は理由があるから、原判決中、控訴人敗訴部分を取消して、被控訴人の請求を棄却することとし、訴訟費用の負担につき、行政事件訴訟法第七条、民事訴訟法第九六条、第八九条の各規定を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官 香川保一 越山安久 吉崎直彌)